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最終回 経営者のための経営戦略 ~「もったいない」が会社を潰す——戦略的撤退と埋没原価を断ち切る勇気~
全7回でお届けしてきた新シリーズも、いよいよ今回が最終回です。これまで、時間価値(金利)・税引後実質金利・タックス・シールド・NPV(正味現在価値)・正味営業運転資金・リースと購入の比較など、未来のキャッシュを最大化するための「前向きな投資判断」について学んできました。しかし、経営において最も苦しく、かつ会社を救うために最も重要な決断は、投資を始めることではありません。「不採算事業から撤退すること」です。
ポイント① 2つの撤退——「戦術的撤退」と「戦略的撤退」
「撤退」という言葉を聞いて、前シリーズで学んだ限界利益の知識を思い出した方もいらっしゃるでしょう。管理会計・戦略会計の世界において、撤退には大きく分けて2つのレベルが存在します。
| 戦術的撤退 | 「ある商品の限界利益(売上-変動費)がマイナスになったから、その商品の生産・販売を中止する」といった、日々の業務レベルでの短期的な判断。局地戦での撤退と言えます。 |
| 戦略的撤退 | 「長年続けてきた不採算事業部を閉鎖すべきか」「赤字を垂れ流している新規事業から手を引くべきか」といった、中長期的な企業の基本構造を根底から変えるダイナミックな決断。 |
この「戦略的撤退」を迫られたとき、多くの中小企業の社長は決断を先送りにしてしまいます。なぜなら、そこには経営者の心を縛り付ける目に見えない巨大な「罠」が潜んでいるからです。
ポイント② 経営者の決断を鈍らせる「埋没原価(サンクコスト)」の罠
その罠の正体こそが「埋没原価(サンクコスト)」です。社長が3年前、新規事業として5,000万円を投じて飲食店舗(レストラン)をオープンさせたとします。しかし立地の悪さや競合の激化により、事業は毎年赤字続き。挽回の見込みは全くありません。理屈の上では今すぐ閉鎖して撤退すべきですが、社長の頭の中にはこんな感情が渦巻きます。
「今ここでやめたら、つぎ込んだ5,000万円の設備投資がすべてムダになってしまう。なんとかしてモトを取らなければ……もったいない!」
この「もったいない」という感情こそが埋没原価の罠です。管理会計において、過去にすでに支払ってしまって、今さらどのような決断を下しても絶対に回収できない原価のことを「埋没原価」と呼びます。意思決定を行う際、過去の埋没原価は計算から除外することが、戦略会計における基本的な考え方です。
ポイント③ 「もったいない」という感情がキャッシュを奪う
なぜ埋没原価を無視しなければならないのでしょうか。「5,000万円がもったいない」という理由だけで赤字の事業を無理に延命させたらどうなるか、考えてみてください。
過去に支払った5,000万円は、事業を続けようがやめようが、どちらにせよ戻ってきません。しかし事業を延命させれば、これから先の未来において、従業員の給料・家賃・光熱費といった「新たなキャッシュの流出」が毎月確実に発生し続けます。過去の損失(埋没原価)に執着するあまり、未来の貴重なキャッシュをさらに失う結果を招いてしまうのです。
「もったいない」という人間として自然な感情は、経営判断においては会社の資金繰りを悪化させる大きな要因になり得ます。すでに支払ってしまったお金(過去)への未練は、できる限りドライに断ち切ることが求められます。
ポイント④ 未来の「キャッシュフローの差額」だけで白黒つける
では、戦略的撤退の正しい決断方法はどのようなものでしょうか。社長が比べるべきは、過去の帳簿上の数字ではなく、以下の「2つの未来のキャッシュフロー」だけです。
| A案(撤退せず延命する未来) | このまま赤字事業を数年間続けた場合に生じる、マイナスのキャッシュフローの現在価値 |
| B案(今すぐ撤退する未来) | 今すぐ事業を停止し、残った設備や内装をスクラップとして売却(あるいは他社へ事業譲渡)することで得られるキャッシュフローの現在価値 |
過去の5,000万円の投資額や、帳簿に残っている設備の未償却残高などは、どちらの未来を選ぶにしても一切関係のない「埋没原価」として切り捨てます。純粋に「これから先、A案とB案のどちらが、自社により多くのキャッシュを残すか(あるいは流出を最小限に食い止められるか)」という差額だけを比較して、決断を下すのです。
ポイント⑤ 退く勇気こそが、企業の存続を支える
事業の撤退を決定すると、一時的に多額の特別損失(除却損など)が損益計算書に計上されるかもしれません。しかし、本シリーズを学んだ皆様ならもうお分かりのはずです。会計上の「損失」は、必ずしも現金の流出を意味しません。むしろ赤字の垂れ流しをストップし、残った資産を売却して現金化することで、リアルな「キャッシュ」は守られます。
「事業を始める決断」よりも、「事業から退く決断」のほうが、何倍も経営者の孤独と勇気を必要とします。そこには、自らの失敗を認める痛みが伴うからです。戦略会計は私たちに、ひとつの重要な視点を与えてくれます。「過去にどれだけのお金と情熱を注ぎ込んだとしても、未来のキャッシュを生み出せないのであれば、撤退を真剣に検討すべき時が来ている」という視点です。
まとめ——戦略会計が目指す未来
社長の仕事は、過去の投資のモトを取ることではありません。手元にある限られた経営資源(ヒト・モノ・カネ)を、より多くのキャッシュを生み出せる事業へ振り向け直し、会社の未来を切り拓くことです。時間価値(金利)・タックス・シールド・NPV・そして埋没原価の切り捨て——これらの戦略会計の考え方を道具として、過去への未練を断ち切り、会社を明るい未来へと導く「退く勇気」を持っていただければと願います。
全7回にわたる長旅、本当にお疲れ様でした。最後までご愛読いただき、誠にありがとうございました。
※本記事は掲載時点の法令・会計基準に基づいて作成しています。その後の改正等により、記載内容が現状と異なる場合があります。個別の会計・税務判断については、必ず顧問税理士等の専門家にご相談ください。
【参考文献】本連載の執筆にあたり、以下の書籍・法令等を参考にさせていただきました。
<書籍>
・『[決定版]ほんとうにわかる管理会計&戦略会計』(高田直芳 著/PHP研究所)
・『世界のプロが学ぶ会計の教科書 資産負債アプローチで使える知識を身につける』(吉成英紀 著/日本経済新聞出版)
・『この1冊ですべてわかる 会計の基本』(岩谷誠治 著/日本実業出版社)
・『この1冊ですべてわかる 管理会計の基本』(千賀秀信 著/日本実業出版社)
・『管理会計 第七版』(櫻井通晴 著/同文舘出版)
・『財務会計講義 第25版』(桜井久勝 著/中央経済社)

